*8/19(日)秋の大祭 地安坊大権現祭 
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高野山真言宗別格本山である龍宮山岩水寺は、神亀2年(西暦725年)人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。

この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。

また延暦年間(1200年前)征夷大将軍坂上田村麻呂公東征時、天竜川の龍神様が薬師如来の功徳により、玉袖姫という美しい女性に変身され、将軍様と恋に落ちられました。

その後一子坂上田村麻呂俊光将軍は、人々の救済と幸せを願い、お母様(龍神様)の魂が刻まれた、厄除子安地蔵様(国重文:伝弘法大師作)を岩水寺に安置されました。

昔から”家をまもるは岩水寺”と言われております。これは厄除子安地蔵様(龍神様)が母であり、実際に子供を産んでいる女性が神仏になったという、非常に珍しい仏様であるからです(お地蔵様は普通男性)。

母であるが故に家を護る事、家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除けといった家族の幸せ。女性であるが故に、縁結び、安産祈願、子授け、お宮参りといった家の繁栄に功徳が高いといわれ、年間数十万人の参拝者が訪れます。

井伊直虎公に関して
岩水寺がある赤佐地区は井伊家(小野氏)の旧領地であります。
東端は天竜川より数100メートルの距離であり、水運で栄えた二俣城や鹿島との隣接地域でもあります。昭和の半ばまで、天竜川の水運に携わる者が多く住んでおりました。
残念ながら武田軍侵攻の際、二俣城落城の戦災により、当時の井伊家・小野家に伝わる物はほぼ散逸してしまいました。
時代は下りますが江戸時代の古文書には、領主である小野家の先祖、小野篁公(別の古文書には小野正了公とも)伝来の陣鐘を持参した学頭遍照院快全が武田軍に軍師として迎えられたと記載されております。その陣鐘は信濃国、長野県にあるとも。
江戸時代には井伊家家臣の近藤家を始めとしたお武家様や、京都の錦小路家(田村将軍子孫)を始めとしたお公家様が安産祈願に参られております。
その当時にも信仰があったお地蔵様。
激動の時代に人々の心に安らぎを与えられたお顔は、今も変わらず参拝者の方々に優しい眼を向けられておいでです。

*解読されました古文書の先生が既に鬼籍に入っておられる為、お問い合わせには返答しかねます事をご了承下さい。(昭和53年解読)  
 
◆注意事項
最近は神社仏閣について、ご理解されておられない方、無礼な方もわずかではありますが、お参りされます。

言葉遣いが悪い方。
お金さえ払えば何をやってもいい、自分は「客」であると考え、持論を押し付ける方。
神社仏閣をお店か何か、お祓いをイベントか何かと勘違いされておられる方。

神社、お寺、供養。

文化、伝統、美徳、道徳。

優しさ。気遣い。思いやり。

そして、何よりも大切な日本人の心。

是非一度、考えた上で。心に余裕を持ってお参り頂きたい物であります。


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