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地安坊祭(秋の大祭)
岩水寺秋の祭典です。鎮守様である地安坊大権現様のお祭です。同時に山住神社の山王大権現様のお祭も行われます。全国でも類を見ない神仏混合の祭典です。
日曜日の15時頃、御旅所にて僧侶による読経が大神輿に。また同時に、神主の祝詞奏上が小神輿へとそれぞれ行われます。モチ投げの後、大天狗に導かれた大小2つの御神輿が4つの屋台を従え、大門通りの南端にある御旅所から岩水寺まで向かう「御渡りの儀」が執り行われます。
この頃、祭典は最高潮を迎え、一番の見どころとなります。
*秘仏である厄除子安地蔵像(国重文)と、地安坊大権現像が開扉されます。

「地安坊大権現」に祀られている神様は、天長年間(824〜834)の遠州大飢餓を救ったといわれる、岩水寺中興(住職)で、根堅の再興に尽力した覚仁大上人です。
根堅の祭典はその功徳に感謝し、かつ村の発展や村人の無病息災を祈願するための祭りです。
また、併せて根堅地区氏神様の山住神社(旧岩水寺内山王大権現 明治の神仏分離策により分離独立)の祭典も行われます。これは、神仏混合の祭典という全国でも類を見ない奇祭といわれております。
この祭典は町内会とは切り離された独立した組織であるである本団と、その傘下である各社若連が、神様への感謝と根堅の発展を記念し、岩水寺と山住神社にお願いし、運営を委託させて頂いております。この組織体制も、近隣にも類を見ません。
また、御神輿の渡り儀を祭典、屋台引き廻しを余興と位置づけし、御神輿を本団が担当し、屋台を若連が担当しています。

平成29年 地安坊祭日程
8月20日(日)

平成29年度祭典 御神輿運行スケジュール
8月20日(日)
   15:00   御旅所 岩水寺読経 山住神社祝詞
   15:30   御旅所 地安坊大権現御神輿、山王大権現御神輿、各社屋台出発
   15:50   山住神社祭典 
           祝詞後、御神体離魂
   16:20   山住神社 各社屋台 到着
   18:00   山住神社 地安坊大権現御神輿、各社屋台出発 
           注:岩水寺僧侶の先導有り
   18:20   読経(旧仁王門跡地)
   18:40   読経(岩水寺仁王門)
   19:00   太鼓橋 地安坊大権現御神輿 到着
   19:20   薬師堂(根本堂) 各社屋台到着
           ※手踊り奉納、投げ餅
   20:20   薬師堂(根本堂) 各社屋台 出発
   20:40   大門四つ角応対(解散式)
役員
本団・・・・祭の主催者。地安坊大権現様と山住様にお願いし、祭を行わさせて頂く
総務・・・・根堅祭典の総責任者。神仏神官僧侶に次ぐ存在
副総務・・・屋台運行の総責任者
本団会計・・本団運営費の管理
年番長・・・御神輿運行の総責任者
若連
余興取締・・各社屋台の運行任者
余興副取締・お囃子、手踊り、屋台運行管理
会計・・・・若連運営費管理

神輿 
御神輿は、地安坊大権現の御神体を納める「大御神輿」と、山王大権現の御神体を納める「小御神輿」があります。
現在の地安坊大権現御神輿は、平成20年の御神輿改修工事により江戸時代に創られたという事がわかりました。山王大権現御神輿は、明治維新の頃に造られました。

屋台
屋台の始まりは、地安坊大権現御神輿創建当時からと言われていますが、定かではありません。
初めは、大門(赤佐7区)、接待(赤佐6区)、泉(赤佐8区北部)、相野(赤佐8区南部)の旧岩水村内の地区が合同で神輿と荷車屋台で行われていた祭りに、廃仏以降の明治時代に、雲岩寺(赤佐8区西部、旧雲岩寺村)が加わり、屋台は2台になりました。
明治末期に、接待が屋台を造り、3台になりました。
その後、大門が、三河三谷(蒲郡)より先代屋台を譲り受け、大正11年に泉、相野が屋台を造り、現在の4台となりました。
そのころ、現在の祭典の形になったといわれています。
地安坊祭 屋台

地安坊祭 御神輿

地安坊大権現
「地安坊大権現」に祀られている神様は、天長年間(824~834)の遠州大飢餓を救ったといわれる、岩水寺中興(住職)で、根堅の再興に尽力した覚仁大上人です。
苦難防除、子孫長久の御利益があり、変わったところでは、勝負の神様で、けんかをする前に願をかけると必ず勝つとされていたそうです。
その為か、太平洋戦争に出兵する村男たちは「苦難を避け戦争に勝てる」ということで、我先にと御神輿を担いだそうです。
その他に、厄年の若連(24歳)が、厄落としの為に担ぎたがったようです。

山王大権現
岩水寺の神社であった山王社が明治の神仏分離策により村社山住神社として分離独立しました。
山住神社には、大山咋命(おおやまくいのみこと)と、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の神が祀られ、山王大権現と称されています。
豊玉彦命は、豊玉姫命(とよたまひめ)のことで、大山積神の孫にあたり、海幸彦・山幸彦伝説(ウミヒコヤマヒコ)の山幸彦と結婚し、初代天皇の神武天皇をもうけたと古事記に記されています。
岩水寺と関係が深い、天竜区の椎ケ脇神社の御祭神でもあり、龍神でもあります。
岩水寺、山住神社、椎ケ脇神社は共に龍神を祀る神聖な土地なのです。

応対
根堅祭典には、独自の風習として、屋台を運行する上で、応対といわれる作法があります。
これは、他の町内に屋台を入れる際、迎える側の町内の余興取締の挨拶後、手打ち式(三本締め)によって屋台をいれられることになっています。
更に、この「応対」は屋台の解散式にも用いられ、最終日の大門四つ角の解散式の時の各社若連合同による「練り」は盛大に盛り上がり、この祭典の最後の見せ場となっています。
見やすい場所に陣取り、その時が来るのを待っている方も少なくありません。
地安坊祭 応対

その他
屋台を連引きしているとき、前の屋台を追い越しや、後ろの屋台が見えなくなるまで先に行ってはいけないという約束事もあります。


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