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岩水寺とは > 年間行事 > 地安坊祭(秋の大祭)


地安坊祭(秋の大祭)
岩水寺秋の大祭。鎮守様である地安坊大権現様のお祭です。
地安坊大権現様は、天長年間(824〜834)の遠州大飢餓を救われた、覚仁大上人です。
覚仁大上人は総本尊薬師如来の12の大願(人々を救済する願い)により、岩水寺を12の谷に分けました。現在でも地名が一部残っています。
古くから病除けのご利益があるのは、この為であります。
また地安坊大権現様は、天保2年(西暦1831年)には神祇管領長上家より日本の神々の1柱として、神名帳に記載されております。れっきとした日本の神様の1柱であります。

神事は岩水寺が行いますが、祭典の運営自体は地元の若連が担当しております。
秘仏である厄除子安地蔵像(国重文)と、地安坊大権現像(市認定文化財)が開扉されます。

令和2年度 地安坊祭 中止 

神輿 
御神輿は、地安坊大権現の御神体を納める「大御神輿」と、山王大権現の御神体を納める「小御神輿」があります。
現在の地安坊大権現御神輿は、平成20年の御神輿改修工事により江戸時代に創られたという事がわかりました。山王大権現御神輿は、明治維新の頃に造られました。
この2つの御神輿は浜松市の認定文化財です。
屋台
屋台の始まりは、地安坊大権現御神輿創建当時からと言われていますが、定かではありません。
初めは、大門(赤佐7区)、接待(赤佐6区)、泉(赤佐8区北部)、相野(赤佐8区南部)の旧岩水村内の地区が合同で神輿と荷車屋台で行われていた祭りに、廃仏以降の明治時代に、雲岩寺(赤佐8区西部、旧雲岩寺村)が加わり、屋台は2台になりました。
明治末期に、接待が屋台を造り、3台になりました。
その後、大門が、三河三谷(蒲郡)より先代屋台を譲り受け、大正11年に泉、相野が屋台を造り、現在の4台となりました。
そのころ、現在の祭典の形になったといわれています。
地安坊祭 屋台

地安坊祭 御神輿

地安坊大権現
無病息災。病除け。厄除け。子孫繁栄の御利益があります。また勝負事の神様でもあります。
その為か、戦争時は「苦難を避け戦争に勝てる」ということで、我先にと御神輿を担いだそうです。
太平洋戦争時には近隣のみならず、遠く東京からも参拝者があり、その方々の戦勝祈願札も現存しております。
また担ぐと厄落としになるともいわれており、地域以外の方も担ぐ事が出来ます。

山王大権現
岩水寺の神社であった山王社が明治に根堅村の村社、山住神社として分離独立しました。
山住神社には、大山咋命(おおやまくいのみこと)と、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)、別名豊玉姫(とよたまひめ)の神が祀られ、山王大権現と称されています。
地安坊祭 応対

秋葉山三尺坊と岩水寺地安坊
2人共同世代、かつ密教の僧侶であったが故に、古くから交流があったと見られます。
親密な交際を記した江戸時代の手紙、古文書も現存しております。
秋葉山が荒廃した際にも、岩水寺が復興の手助けをした事を記す古文書も現存しております。


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